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アズロッソの
立ち上げ
ストーリー

STORY

「なぜ、日本にはファッションに高感度な女性が多いのに、その女性達を満足させるような高感度なファッションのハイブランドがないのか?」日本から世界的なブランドを展開していくために立ち上げた「アズロッソ」のこれまでの軌跡をお伝えいたします。

  • PART

    01

    研究開発者、
    ファッション販売をする

    THE BEGINNING

    私は化学系の大学院を卒業後、教授の推薦で世界的にも大手の化学メーカーに研究開発職として入社しました。「研究で世界的な発見をし、ノーベル賞をとるぞ!」などという夢はないものの、上司や同僚にも恵まれ、何不自由のないサラリーマン生活をスタートさせ、順風満帆に過ごしていました。もちろん、この時点で自分が世界中のハイクオリティなファッションブランドを取り扱うセレクトショップを立ち上げることになるとは夢にも思いもしませんでした。

    それから数年経ったある日、父親の会社で社運をかけた商品を作りたいので、相談に乗って欲しいという連絡を受けました。父親の会社は、メーカーに電子部品を卸しており、直接一般消費者に商品販売したことがないのですが、販路拡大のため自分たちでも消費者向けの商品を作り、直接販売をスタートさせようというのです。
    いつかは、自分で会社を興したいと思っていた私は、自分で企画した商品を売ることにワクワクし、二つ返事でOKしました。
    今まで、企画も販売もやったことはなかったにも関わらず、自分なら売れる商品をつくれるという根拠のない自信を胸に、商品開発をスタートさせました。

    まずは、集客するために必要な「ウリ」を作る事を目的として、当時とても人気のあったファッションモデルにデザインを依頼しました。
    直接そのモデルに打診をしたところ、商品デザインという仕事にとても興味を持ってくれたようでOKをもらいました。これでこの商品は大ヒット間違いなしだと心の中でにんまりしました。なぜなら、そのモデルは、他の商品とのコラボでも、実績があり、当時ブログ女王としても騒がれていたほどの人気だったからです。
    モデルにデザインを依頼した後、とりかかったのが、自分たちで直接販売するための仕組みづくりです。2008年当時、インターネット通販はそれほど珍しいものでもなく、大きく成長していました。そこで、通販のスタートの仕方が書かれている数冊の本を買い、インターネット通販を始めることにしました。

    ただ自分たちでインターネット通販を始めるためにはこの商品1つだけではいくらなんでも少ない。しかし、父の会社は電子部品の設計と卸会社なので、消費者のほしいものはありません。そこで、デザインをしてくれるモデルにちなんでファッション関係の商品をアメリカから輸入することを思いつきました。ファッションが好きではあったものの、ありふれた知識しかない自分が、アメリカのwebサイトを見ながら、これは売れそう、あれは売れなそうなどとブツブツいいながら、数ブランドを購入しました。
    今思えば、何を根拠に売れると思ったのかわかりません。それでもなぜか、売れそうだと考えてしまったのです。その後に迎える悲劇はこの時点では、全く考えていませんでした。

    アズロッソの立ち上げストーリー画像1

    アズロッソの立ち上げストーリー画像2

  • PART

    02

    最初の挫折

    FAILURE

    製品が完成してから、3ヶ月間はイベントを仕掛け、モデルの方からもブログでのPRをしてくれました。「売れすぎて、売れすぎて、逆に父親に怒られるかもしれない。」「コラ、忙しすぎるだろ!」…なんて。笑
    などとお気楽に考えながら、いよいよ発売日を迎えます。どれだけの注文が入ってくるのだろうと。。はやる気持ちを抑えながら管理画面を見つめます。

    発売日に再度、モデルがブログで告知した途端、10万を越えるものすごいアクセスが記録されます。モデルのファンが一気に押しかけてきたのです。私は胸が高鳴ります。自分のやっていることが間違えていなかった、この次の第2弾はどんな商品にしようかなど、未来の事業拡大の空想は止まりません。

    ところが、発売されて数時間たったころ、おかしな現象に気づきます。アクセスは、ものすごい数あるのですが、まったくといっていいほど売れません。10万アクセスあっても、売れたのは18個。。桁を一ついや、二つ間違えているのではないかと何度も確認しますが、やはり、18個。18個って、すごいリアル。でも、夢であってほしい。。いや夢だと思う。何度もそう思いながら、なにがなんだか、よくわからないまま、1日目が終了します。
    あまり眠れないまま、2日目の朝、いても経ってもいられずに、すぐにパソコンの前にいき、管理画面を食い入るように見つめます。販売個数は…まったく増えていません。それどころか、アクセス数も急速に減っています。軽いパニックが襲います。いま思えば、そのモデルのファンを目当てに商品を販売しているので、一度見に来ても、興味がなければすぐに離れていきます。

    また、マーケティングにも問題がありました。そのモデルの当時のファン層は10代から20代前半。そんなにお金をもっていない世代に対して、自分たちは、1万円前後の音響機器を販売しようとしていたのです。
    ファッションやお菓子に興味があっても、その当時も携帯やiPodで気軽に音楽が聴けるのに、わざわざ、こだわって音響機器を買う若い女性はあまり多くはありません。
    マーケティングはおろかターゲット層に売るための商品企画さえやっていないような素人的な考えから商売をしたために、いくらファンの多いモデルを使ったといえども全くその人たちに響くような商品ではなかったのです。

    その結果、見事に文字通りの在庫の山を抱えることとなりました。商品や部品の入ったダンボールがうず高く重なった在庫の山。。昔の人はうまいこと考えるもんだなーなどと、現実逃避しながら、自分がそんなドラマのような光景を目の当たりにすることになるとは思ってもいませんでした。

    アズロッソの立ち上げストーリー画像3

    アズロッソの立ち上げストーリー画像4

  • PART

    03

    一筋の光明と
    アズロッソの立ち上げ

    RAY OF LIGHT

    呆然とする私に1つだけ光明がありました。通販のラインナップの一つとしてアメリカから輸入していたブーツが飛ぶように売れたのです。それは、有名ブランドのムートンブーツでした。
    その当時、そのムートンブーツはアメリカでは大人気で、日本にも代理店はありましたが、一部の高感度な女性にしか認知されていませんでした。しかし、ファッション誌などでもちらほら取り上げられており、「冬にあったかいし、かわいいからいいかな。」程度の気持ちで仕入れていたものでした。
    しかし、数十足だけ仕入れていたそのムートンブーツは瞬く間に完売。買ってくれたのは、そのモデルのファンではなく、落ち着いた大人の女性達。
    「このムートンブーツが、傷ついた自分の気持ちを癒してくれる唯一の友達だ」と一心不乱にアメリカ中でこのムートンブーツを探しだし、見つければ1足でも輸入する毎日。背後にそびえ立つのは本当は売りたかった製品の在庫の山。山を背に、血眼でムートンブーツを探す一人の男。
    そんなホラーな光景を知らない、高感度な女性の皆さんが、仕入れればすぐに注文をしてくれます。売り切れていると、「せっかくいいお店を見つけたのに、残念です。期待して待っていますね」とか、購入してくれたお客様からは、「本当にふかふかして気持ちいいです。ずっと待っていたんです。大事にします」など嬉しいメールが届きます。 本当はブーツではなく、自分を必要としているのではないかと勘違いしながら、気づけば、お洒落感度の高い女性に支持されるようなインポートブランドのセレクトショップになっていきました。

    このことをきっかけに、売上げを上げるために製品をつくるのではなく、また、本当の商品以上に良く見せるような誇大表現を使って販売するのではなく、本当に質の良いものをその質が分かるお客様に提供したいと思うようになりました。
    2010年に独立し、欧米の、高感度な商品を販売するためのファッションに特化した「株式会社アズロッソ」を設立します。
    当初、立ち上げメンバーの4人は、私を含め全員ファッション業界での働いた経験がなく、貿易のこと、仕入れのこともわからず、海外とのやりとりも未熟なため、笑えないような失敗をたくさんしました。例えば…

    ヨーロッパから仕入れた革靴は輸入税がとても高く、国の許可がないと、仕入れ値の何倍もの税金を取られることもわからずに、高額な請求がきてびっくりしたこと。かわいい子供の話しまでして、笑い合ったカナダの業者にお金を支払ったのにそのまま音信普通になったこと。イタリアのメーカーから仕入れたニットすべてが、なぜか、1/3のサイズしかなく、着ると大リーグ養成ギブスのようになってしまうこと。
    涙なしでは語れない出来事があまりにも多すぎて、ここでは書ききれません。。

    そんな中、逆に、ファッション業界の常識を知らなかったことで良かったこともあります。
    会社を設立した始めの頃は、ムートンブーツが大ヒットしたことから、靴を中心に仕入れていきました。自分の周りにも足のサイズの大きな女性も結構いたので、22cmから26cmまで取り揃えました。後になって、それはあまりにも無謀なことだと聞かされます。通常、日本では、靴はサイズが多く、在庫になりやすいので、取り扱いに二の足を踏むところが多いこと。
    靴屋さんでも、多くのお店が23cmから25cmまでしか取り扱わないことがほとんどだとわかりました。しかし、そういった業界の常識がなかったことが幸いしてか、クイーンサイズの女性からも支持され、多くのお客様にご購入いただくことになったのです。

    アズロッソの立ち上げストーリー画像5

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  • PART

    04

    世界のトップクオリティを扱う
    セレクトショップへ

    STEP UP

    立ち上げて早々にムートンブーツが大ヒットし、その後もイスラエルの石鹸、イギリスの王室御用達レインブーツ、アメリカのミネラルコスメなど次々と人気商品を仕入れてお洒落感度の高いお客様に購入頂きました。
    オープンして1年後には、フランス、イタリア、スペインなどで優れたデザインと上質なレザーの靴やバッグ、財布を取り扱い始めます。

    イタリアそしてスペインの革靴は、世界のトップクオリティーとして、 感度の高い女性を魅了し続けています。確かに、日本やアジアで作られた靴やバッグとイタリアやスペインで作られた靴やバッグでは、醸し出す雰囲気が明らかに違います。
    ファッションウィークの中で、最も早く幕を開けるミラノコレクションを基点として、最先端のデザインをいち早く取り入れる環境があることや、使用するレザーの品質に違いがあることは確かです。
    しかし、最大の理由は、イタリアやスペインでの靴やバッグ作りの競争の激しさだと知りました。他の産業やスポーツでもそうであるように、競争が高い分野ほど高度に発達することは、 多くの歴史が証明していますが、靴においては、イタリアとスペイン以上に競争の激しい 国はありません。

    日本の数十倍の競争を繰り広げ、デザイン、品質いずれもグローバル基準を優に超えたイタリア基準をクリアしなければならないのです。
    センスでは片付けられない、こういったすさまじい競争が世界No.1の靴産業を築いてきました。
    しかし、一般的にメイド・イン・ジャパンは縫製がしっかりしているといわれています。でも、イタリアなどと比べるとレザーの風合いや、デザインの繊細さに差があるともいわれます。
    これは、品質の差ではなく、イタリアをはじめ、欧米と日本の品質への理解の差ということがあります。
    日本では、革に傷がある。色むらがある。こういったことが品質の差であると考える傾向にあります。しかし、ヨーロッパでは、革の材質や光沢、なめらかさなどの直接の質の差を重視します。履いたら小さな傷がつくのは当たり前。それなら、質の良い靴が手に入りやすい価格でほしいと考えているのです。

    素材にこだわり、女性の足を美しく見せることにこだわる。傷や、ムラも素材が上等である証。その上質な素材を損なうことなく、美しい靴を 作りあげることができる職人だけが、 一流の靴職人を名乗ることができる。
    そんなイタリアとスペインの素敵な靴を、 オシャレ感度の高いお客様にご紹介することが、今までのファッションでは満足できない人々に認められ、日本のファッション文化が一つ上のステージにたどり着くことになると信じ、自分たちの美的感覚を磨き、良いものに触れ、良いものと普通のものの商品の違いなどを理解しながら、独自のルートを構築し、欧米のほかにも、ブラジル、メキシコなど、あらゆる世界中の優れた商品を買い付けてきました。
    そして、日本の感度の高いお客様の心をとらえ、多くのお客様に訪れていただくお店となりました。
    しかし、一方で、なぜ日本ではこういった心くすぐるデザインやすごく繊細な色合いの製品が作れないのかと考えました。

    アズロッソの立ち上げストーリー画像7

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  • PART

    05

    日本から世界的な
    ファッションブランドを

    VISION

    いろいろと調べていくと、かつては日本も同じように質の高い繊細な製品を作っていたことがわかりました。

    150年前の日本ではシルク生地やそれに関連した商品がヨーロッパの富裕層を虜にしていました。スカーフも、50年前までは日本が世界中の最高級ブランドのスカーフを手がけてもいました。
    しかし、日本がものづくりを中国などの賃金の安い国に移転させた際に多くのアパレルメーカーや職人たちが、将来の不安なこの業界に自分の後継者を育てられず、今その職人たちも高齢化を迎え、質の高い商品の供給に不安を抱えていると言うことを知りました。

    最近は、日本の商品の品質の良さは見直され、日本製が高品質の象徴のように捉えられていますが、それを作る職人に後継者がおらず、絶滅の危機を迎えています。
    また世界でも通用するデザインや醸し出す雰囲気を作り出す環境も十分とはいえません。

    ヨーロッパを中心とする、有名ブランドの優れたデザインの商品が感度の高い女性たちに支持し続けられている理由は、研ぎ澄まされた美的感覚で、妥協のない素材や製法へのこだわりと、履いたとき、手にしたときに女性をより魅力的にみせる存在。
    そんなファッションアイテムを作り続けるために、ヨーロッパでは職人やデザイナーの地位が非常に高く、皆、誇りをもって仕事に取り組んでいます。
    私たちはまだ、腕のいい職人がいるうちに日本から世界的に有名なファッションブランドを作り上げることで、安い大量生産の商品にはだすことのできない魅力的な商品を生み出す職人やデザイナーたちが安心して暮らせる世界にしていくことをもう一つの目標としました。

    日本の、特に東京の女性たちのおしゃれ感度は世界でも有数なものだと思います。しかし身に付けているブランドはヨーロッパを中心としたハイブランドばかり。我々もそういったところから優れた的感度の高い商品を仕入れていますので、そういったものをご愛用いただく事は大事なことですが、この日本からもそういったファッションブランド作り続けていきたいという思いがあります。少なからず遠くない将来に私たちが作り上げたこのファッションブランドが、日本や世界で多くのおしゃれ感度の高い女性たちを虜にできることを願ってやみません。

    「いい女のいない国に未来はない」という言葉は、この会社を設立した当初から、社員に伝えている言葉です。
    いい女とは、容姿や性格にとどまらず、イキイキと充実した人生を過ごす女性の皆さんをあらわしています。その中で、真に素敵なファッションとの関係は切っても切れないものです。いいものを着たときの心の高揚と、自分が変化する瞬間。ぜひ私たちのお客様である感度の高い女性の皆様には、引き続きの応援をよろしくお願いいたします。

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